十五社の樟樹・かつらぎ町

 京奈和のかつらぎ西インターチェンジを降りて、国道に出て左に曲がると笠田小学校が見えてくる。十五社の樟樹は、小学校の後にある。この十五社の樟樹は、近畿一の巨木であり、全国43番目の巨木として知られている。十五社は「じごせ」と読み、妙楽寺に祀られていた15体の神をあらわしている。
 江戸時代、妙楽寺の境内に寺子屋が造られ、明治8年には明倫校という学校になったことによって、お寺の大部分は学校の敷地に変わっていった。この小学校はいくつかの変遷を経て、戦後笠田小学校へと発展した。樟樹の樹齢は600年以上とされる。日本の室町時代の中頃から樟樹はここに立っていたということになる。
 戦後、笠田小学校は校歌を作ることになり、作家の佐藤春夫に依頼した歌詞を1951年3月1日に手紙で受け取り、その日のうちに校歌として採用している。
 
笠田の里よ わがまちよ/葛城山の 山すそに/十五社の森をとりめぐり/人むつまじく栄えゆく 
大樹の樟よ わが庭よ/千年(ちとせ)の命 貴しと/十五社の森の下かげは/至誠(まごころ)の児童(こら)集うなり
 
 佐藤春夫は、全国で60本ほど校歌を作っている。樟樹と子どもたちのことだけを歌った校歌は胸にしみる。来賓として招かれ、子どもたちが歌う校歌を聞くと優しい気持ちになる。
 
かつらぎ町議 東芝弘明